『フライの雑誌』第111号(2017)から、
〈水辺にて〉(髙橋光枝)を公開します。
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水辺にて
髙橋光枝
アキレス腱を切って茨城の病院に入院中の友人が、こっそり病室を抜け出して運転する車で涸沼に行ったことがある。桜の花びらが路面に舞う季節だった。
ギプスをはめた方の足は、ほとんど動かすことができず、運転席の友は、かなり不自然な姿勢を余儀なくさせられていたが、わたしは運転ができないので、一蓮托生のドライブだった。
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亡父が釣り好きだったので、そのあたりのことを書けるといいのだが、父の場合は、好きだった釣りをほとんどできないまま一生を終えてしまったので、わたしが書けるのは、釣りに行けない父の背中の話ぐらいで心許無い。
ただ、ひとつだけ鮮明に覚えていることがある。
その日、父は朝早くから釣りに出かけ、宵闇迫る頃に帰宅した。玄関に立った父の顔は赤く日焼けして、てかてかと頬が光っていた。わたしは7、8歳くらいだったが、そのときの父が、「見たこともない若々しい男のひと」に見えて感動したのだ。
いつも苦虫を噛み潰したような顔をしている人物が、生き生きと笑っていることが、子ども心にひどく幸せに思えたし、一日中被っていたのだろう帽子を脱いだ髪は、すっかり帽子の形に癖がついており、そのすこしヘンテコな頭の形も楽しく感じられた。
それは、父の中にある別の魂の姿だった。
瞳の奥には、水に反射する明るい光が消え残っていた。
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ギプスをはめた足を投げ出したままハンドルを握り、片脚で運転する友は、それが奇を衒ったものではなく、ただ病室を抜け出し、広々とした水辺で気分転換したいという一心であるだけに、したいようにさせてあげたい気がして、普通なら危ないからと、止めてもいいようなものなのに、わたしは助手席で涼しい顔をしていたと思う。
涸沼はとても大きな沼だった。水が足元まできて、たぷたぷと揺れており、風が水面を渡るたびに、そのたぷたぷという音に抱かれるようだった。油断すると沼に吸い込まれそうでもあった。
自然の音しか聞こえてこない場所にいると、いつもわたしは「あぁ、死んでもいいなぁ」と思う。「死にたいなぁ」ではなく、幸せな「死んでもいいなぁ」だ。ここで死んで、そのまま土に還ってもいいかもしれないなぁと思えてくる。
焚き火を前にすると、心のうちから言葉が解かれて、素直な思いを語り合えるという話を聞くけれど、水の前でも、そうかもしれない。空にも水にも、隠し事はしなくていい。
わたしは水辺までドライブしたいと言う友人にかこつけて、本当は、自分もまた、ありのままに孤独になれる場所を探していたのかもしれない。
だとすれば、釣り人も孤独を楽しんでいるのだろうか。それとも、別の生き物の魂が、自分の釣り糸を揺らす出会いのほうに心の比重があるのだろうか。
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小学校の課外授業で鱒釣り場に行ったことがある。
意外に早く手応えがあったので、条件反射のように引っ張り上げたのだけれど、実際に鉤の先に鱒が食いついているのを見て、どうしたものかとぶらぶらさせてしまった。初めてのことで、魚から鉤をはずすという作業が頭から抜け落ちていたのだ。
その瞬間、釣り場の係をしているらしい年配の女性から怒号が飛んだ。
何をしているの、鈎をはずすのよ、ちゃんとやりなさい。
わたしがその後一度も釣りをしないのは、その女性に一喝されたせいかもしれない。けれど、それは怒鳴られたのを根に持ったせいではなく、何事もやるときは真剣にやれ、という言葉に胸打たれ、本当にその通りだと思ったからだ。
鱒を振り回したまま、へらへら笑っていた自分を恥じた。
自分は釣りに対して真剣ではなかった。その怒号と厳しい目は、今も忘れがたく、記憶の底で睨みをきかせ、自分が真剣になれるものに、しっかり向き合わねばと思わせてくれる。
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日が傾いてきたので、病院での夕食の時間に間に合うように、友と涸沼をあとにした。片脚での運転にだんだん習熟してきた彼だったけれど、一日の疲れも見え始め、沼を渡る風に吹かれ続けた頬が、緑色にやつれて見えた。
病院では、この不良患者を、看護婦さんがちょっと怖い顔で待ち受けていたことだろう。わたしは、それを見届けることもなく、病院の前で別れた。東京から見舞いに行き、思わぬ冒険の一日となった。ずいぶん、昔の話だ。
思えば、この友とは、いつも水辺に佇むような間柄だったと思う。いや、水辺に佇むばかりの間柄だったと言ったほうがいいのかもしれない。風と、たゆたう水の音しかしない場所で、心の奥の言葉を語り合う。
彼といると、「あぁ、死んでもいいなぁ」と思う気持ちになることがしばしばあったけれど、そんなふうに思ってしまっては、お互いの人生が続かない。ひとは、きっと「生きていきたいなぁ」と思わせてくれる相手と暮らしてゆくのがいいのだ。
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ここ十年ばかり、様々な事情で遠出ができなくなり、もっぱら、友人たちの旅の話の聞き役になった。夜更けに皿洗いをしたあと、洗い桶に張った水に両手を沈めてみる。たぷたぷと水が揺れる。
水のなかで少し大きく見える手のひらは、もう白くすべすべしたそれではなくて、どこか皺々と、長い物語を持っていそうな表情に変わったけれど、梢を渡る風を想像しながら、わたしは、まだもう少し生きていたいなぁと思う。
ひとり佇んでいた水辺に、懐かしい友たちが、再び、静かに立ち現れて、皆で、焚き火する夕暮れを夢見るようになったからだろうか。
その日の水辺が、穏やかで幸せに満ちていることを願いつつ。
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了
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