海外の釣り場と日本国内では、釣りの制度も環境も異なる。
海外では、釣り場の利用者が限定されていることがある。私有地だったり、ヘリコプター、ボートが必要だったりと、アクセスの問題もある。その場合、権限を持つプロの業者へガイディングを依頼せざるを得ない。対して日本国内では川と湖のほとんどは公有水面で、地理的に行けない場所はないに等しい。
社会人が未知の釣り場を目指すとき、多方面を調整して、なんとか短い休暇をひねり出す。せっかく休んだのだから、いい魚を釣りたい、たくさん釣りたいと思うのは当然だ。すると国内でも、現地の釣りガイドさんを雇う選択肢が出てくる。金銭を渡す代わりに期待するのは主に、どこで釣れるかという最新の釣り場情報の提供だろう。
都内で育った自分は、遠い昔(そんなに遠くないっすよという気もするが)、10代の終わりと20代のはじめの二回の夏を丸々北海道で過ごした。フライロッドと長靴とテントとマップル(でかい方)をバイクに積んで、広い北海道の川と湖を走り回った。釣りのためだけに生きている日々だった。
それならよほどいい釣りができたかというと、手にした魚のサイズも数も大したことはなかった。腕の問題もあるが、情報なしに地図と自分の勘だけでひたすら釣り歩いていた。今なら見違えるような釣果を得られるはずだ、数字の上では。ただ、あまり釣れなかったあの短くて長い夏の端々のシーンは、今でも古いアルバムの中に隠れて想い出がいっぱい。
釣り場で知り合った大人たちには、いろいろに面倒を見てもらった。ご飯を食べさせてもらったり、車で秘密の釣り場へ連れて行ってもらったり。釣れても釣れなくても楽しい、かけがえのない貴重な経験だ。日付けは遥かなメモリー。釣り竿と夢と妄想を抱えて右往左往している貧乏な若者へ、大人たちはやさしくしてくれた。今の自分も、そんな若いのの面倒見たくてたまらない。
社会に出る前の(出た後だってかまわない)若い人に伝えたい。釣りができるうちに釣りに行こう。スマホに頼らず長い釣りの旅へ出よう。自分で探しあてた川で釣った小さなイワナが、誰かに釣らせてもらった巨大なマスよりも、ずっと忘れられないこともある。10$の恋でも恋だけど、それはいずれ昇る大人の階段の上で楽しめばいい。当たりもあれば外れもある。それが本来の釣りだ。
釣りは釣った魚の結果ではない。若いうちにしか味わえない釣りがある。
動画の中で『フライの雑誌』122号が紹介されています。
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