ウナギもマグロもサクラマスもビワマスも、養殖で食べられるんなら結構、それでいいじゃん、よかったね。になりかねないのが、水産からの保全へのアプローチの限界かな、という気がする。
技術が進めば進むほどに危うい。
釣り人側にしてみれば、「そんなに魚が大切なら釣らなきゃいいのに。」という当然の批判に反駁する論拠としては「釣りたいから魚を守りたいんです。」がある。その先には、より切実な「釣りをしなくちゃ生きていけないんです。」がある。
その非論理的な論理を、釣りに興味のない相手へ理解してもらうのは、難儀なことだ。
だからというわけでもないけれど、北大七飯淡水実験所には申し訳ない気がしながらも、「フライの雑誌」次号127号の〈日本釣り場論〉には、〈「イトウの昆布巻き」をめぐって〉という記事を載せました。
「自然産卵が消滅し、人工ふ化放流に頼るようになれば、生物多様性や種の多型現象というものが軽視され、さらには無視されるようになる。これは、日本におけるサケの人工ふ化放流事業の100年の歴史においても同じことがいえる。」
長良川河口堰とサツキマスの自然産卵https://t.co/sookfbeTDn— 堀内正徳 (@jiroasakawa) March 28, 2023
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第126号〈隣人のシマザキフライズ特集〉続き。島崎憲司郎さんのスタジオで2022.12.26撮影。狭いシンクを泳ぐフライ。まるっきり生きてる。これ笑うでしょ。まじやばい。(音量注意) pic.twitter.com/vFuHHPEJvh
— 堀内正徳 (@jiroasakawa) December 27, 2022