フライの雑誌-第127号(2023)から、〈釣り場時評100〉当事者であること 霞ヶ浦、然別湖、寿都町(水口憲哉)を公開します。
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釣り場時評100
当事者であること
霞ヶ浦、然別湖、寿都町
水口憲哉
(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)
フライの雑誌-第127号(2023年発行)掲載
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summary
●釣り人にとっての現場とは何か。湖や川、そして海が現場であり、釣り人はそこにおける当事者である。
●原発反対の立場を鮮明にすることについては、国立大学の教員として、覚悟を決める必要があった。
●ふりかかった火の粉として核のゴミ問題をはねのけ、自然エネルギーで元気な町、寿都を多くの人々に知らせる。
釣り場時評 100
当事者であること
霞ヶ浦、然別湖、寿都町
水口憲哉
(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)
二〇二二年一一月発行、斎藤幸平の『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA)は、初めて現場(当事者と社会的問題にかかわりをもつ場所)に出ての体験をつぶさに述べている。
書斎や大学の研究室を出て、苦闘し考えたことを毎日新聞に二年間にわたり連載したものを中心にまとめたもので、現代社会の問題がそれなりにわかり面白い。これまでの著作での彼の考え方が、日本の現実社会とどうつながってゆくのか見守ってゆきたい。もう少し生きのびてみようかとも思った。
彼が信奉するマルクス(一八一八~一八八三)の場合は、ヨーロッパ各国の労働組合運動がいわゆる現場だったと思う。そしてマルクスの考えていたことが結実し、実行されたのが一八七一年のパリ・コミューンだとも言える。
しかし、個人と社会の関係、そして歴史ということで考えると、〝だからどうなの、それがどうしたの〟という思いも生れてくる。筆者が社会主義者マルクスから最も影響を受け強い関心をもつのは、最晩年の「ザスーリチへの手紙」(一八八一年)である。
現場とは何か
それでは私にとっての現場とは何であったのか。
大学一、二年の夏と冬の合計二カ月近くを過した宮城県石巻市万石浦、渡波漁協での体験が、漁協や水産試験場がらみで漁村の暮しに初めてふれたものであった。
次いで、大学院時代の五年間通い続けた秋川流域は内水面漁業と言われるものの実態をいやというほど味わわされた。
養沢の国際マス釣り場の宿直室に泊めてもらい、写真機材店、葬儀屋、手術用絹糸の製造、牛馬の売買を本職とする漁協の役員の方々に世話になり、地元の小学生たちに助けてもらい過ごした。オイカワ釣りをしている釣り人に大量のアンケートを配布したが殆ど返って来なかった。
東京水産大学に就職してすぐに、小田原の大型定置網と魚市場そして水産試験場に通い始めて、ウマヅラハギ調査をやった。そのうちに、増えている魚に興味をもつ私に、霞ヶ浦の内水面水試にいる先輩から増えているエビ・ゴロ(ハゼ類)の調査をしないかと声がかかり、一九七二年から七七年ぐらいまで足繁く通うようになった。
最初は水試内の養殖用餌の小屋、まもなく高浜入干拓反対運動がらみで鉄条網に囲まれ、夜間の出入りが出来ない水試を出て出島村の青年研修所に学生達と泊めてもらうようになった。
漁師の坂本秀さん(夫婦乗りの底曳き漁のかぐらさん)、水産加工場の若い専務には本当に世話になった。学生の一人は秀さんの家で風呂に入れてもらったりしていた。
その当時、霞ヶ浦における大きな社会的問題は、利根川に通ずる逆水門の締め切り問題であった。
そこで、一九七七年の水産学会のシンポジウム「増殖技術の基礎と理論」において、霞ヶ浦の漁業生産物がシラウオとワカサギからエビ・ゴロに転換する原因としての常陸川水門閉鎖を見ないようにしている浜田・津田(一九七六)を批判しながら、現在のエビ・ゴロが獲れ続けるように実践しなければならないと主張している。
小室ほか八名(二〇一八)「漁業・レジャーからみた霞ヶ浦における湖面利用の変容」では、一九七五年以前を常陸川水門閉鎖前とし、以後二〇〇〇年までを閉鎖後とし、二〇〇〇年以後を転換期としている。一九七五年前後のピーク時に一万五千トンを超えた総漁獲量が二〇一三年には一千トンになって、サイクリングと水上飛行の湖になってしまった。
これらの調査活動と並行して、一九七四年頃より、十数年間、全国各地で原発建設を拒否する漁民の学習会等に、ボランティアの用心棒として参加するために行脚するようになった。
然別湖における遊漁管理
ところで釣り人にとっての現場とは何か。釣りをする湖や川、そして海が現場であり、釣り人はそこにおける当事者である。
そこで、芳山拓(二〇一八)「北海道然別湖における遊漁管理:希少魚の保全と地域振興、釣り人と共に」という北海道大学の博士論文を出発点として考えてみる。
なおこれは翌年ほぼ同じ内容で『釣りがつなぐ希少魚の保全と地域振興 ─然別湖の固有種ミヤベイワナに学ぶ』(海文堂出版)として出版されている。博士論文に〝釣り人と共に〟とあるのが非常に貴重だと思ったのだが、それでは売れないと考えての変更だろうか。
内容的には、漁業者のいない釣り人だけの然別湖なのでそこを現場とする当事者としての釣り人にとっては、何も文句の言いようのない現状になっている。そのことをよく示すのがブログ〝釣りばかホイホイ〟の「唐沢湾にて」(二〇一七・九・一九)である。一五年以上通っているが自然と釣りにすっかり満足している。これだけ意をつくして読みごたえのあるものも珍しい。
芳山さんはこの本で、然別湖の釣りが現在のようになるまでの経過を、本誌の七本のエッセイを引用して説明している。「フライの雑誌」の文章が七本も博士論文に引用されるのも珍しく貴重である。
前段の平田剛士さんの五本は、中沢編集人以来の本誌の「釣り人による釣り場の管理を」という路線ものである。
平田さんは一九九三年からの五年間然別湖を訪れて、釣り人として望むことを切々と述べている。その当時は単なる願望でしかなかったこと、①ミヤベイワナは持ち帰らずすべてキャッチ&リリースすること。②漁法をルアーフィッシングとフライフィッシングに限る。③シングルバーブレスフックの使用。が現在は実施されている。
さらに釣獲尾数のモニタリングの継続として、釣果報告書の記載を遊漁規則で義務づけた。そのようなことすべてを土台にして、この本は書かれている。
外来魚と地域振興
保全生物学的視点では望ましくないとされる、外来魚のニジマスとサクラマスは自然産卵で増えているが、一定数持ち帰ることができるので、釣り人を満足させている。
いっぽう、人工孵化放流事業をやっているミヤベイワナは、キャッチ&リリースもあり遊漁の圧力によって減少しているとは考えられないし、鹿追町は自然環境を維持するために人工孵化放流事業をやっているのであり、遊漁資源確保のためにやっているのではない、としている。
この点と関連して、平田(一九九四)は本誌二八号で「2年目のミヤベイワナ試験解禁」について報告する中で、北海道立水産孵化場の坂本博幸湖沼管理科長に、次のように語らせている。
「記録を見ると、乱獲される前のヤンベツ川には1万匹ほども溯上して来ていた。でも近年はずっと低迷していて、例えば去年は1200~1300匹のレベル。せめて5000匹にまで戻れば、人工孵化や放流などの人為的な補助なしに、自然産卵だけで再生産してゆけるのでしょうか」
しかし、存在するはずのミヤベイワナの産卵河川への目視溯上数(エスケープメント=自然産卵させる親魚数。拙著『桜鱒の棲む川』に詳しい)に関する資料が、本書のどこにもない。道内の情況でも、もうサケマス類の人工孵化放流について再検討する段階に来ているにもかかわらず、にである。
人工孵化放流をミヤベイワナでやめることが、然別湖を少しでも自然に近づけることではないか。外来種であるニジマス、サクラマス、ニゴイ、ウグイ、ウチダザリガニを駆除せよとまでは、言うつもりはない。
ここで思い付いたのだが、外来魚問題として桧原湖、野尻湖、芦ノ湖そして霞ヶ浦において、芳山さんのようにバス類を対象にして、外来魚と地域振興の研究をやる人はいないだろうか。地元漁協や、釣り人からは全面的な協力が得られるであろうこと請けあい。結構覚悟がいるかもしれない。
社会問題の当事者として
私は、万石浦、秋川、小田原、霞ヶ浦、原発建設に反対する漁村に出かけたが、そこで暮し、漁をする人々と同じように、問題の当事者として考えたり行動したりすることは無かった。最後の場合については、伴走者と言ったこともあるが多くの場合、部外者、傍観者としてかかわっていたように思う。
しかし、原発反対の立場を鮮明にすることについては、国家公務員がそのようにふるまうと退職を迫られるという西ドイツの例を考え、国立大学の教員としても覚悟を決める必要もあった。
まさにそのような社会問題の当事者として考えなければいけなかったのである。
芳山さんの先輩に、二〇一四年北海道大学でサクラマス資源と保全について博士論文を書いた大串伸吾さんがいる。芳山さんの論文や本でも、地域振興についていろいろ教えられたことが述べられている。
大串さんはその後、町長からスカウトされ二〇一七年四月に寿都町役場の産業振興課に就職した。寿都町がアンテナショップをニセコに出し、たまたまそこに立寄った堀内編集人から張り切ってやっていることを聞いたこともある。
大串さんとは彼が高校時代に立教大学のバスシンポジウムに参加して以来のつき合いで、JGFAのイシダイのC&R資料のとりまとめを一緒にやったりしている。それゆえ彼の博士論文が送られて来た時は、『桜鱒の棲む川』の著者としてはひとこと言わざるを得ず、ややこしい手紙のやり取りがあった。
そして二〇二〇年一〇月、寿都町が核のゴミ最終処理場建設に向けての文献調査に応募したのである。大串さんは悩みに悩んで町役場を退職し、地元の水産会社に転職した。二〇二一年の賀状には、小泉元首相参上、SUGIZO参上とあり、SUGIZOとの写真があった。
つい最近SUGIZOが日本ではマネスキン(Måneskin)やリンダ・リンダズ(The Linda Lindas)と同じ存在だと知った時、なぜ二年前彼が寿都に来たことを若い町民が大喜びしたかを理解し、四〇数年前の原発反対運動とは別次元のものになったことを知った。
今年の正月には例年の賀状と共に、「子どもたちに核のゴミのない寿都を! 町民の会」の広報誌直近五号分と共に、A4三枚にわたるこれまでの私とのかかわりや、現在考えていることなどの報告を送って来た。特に一月に発行される予定の四六号では、ふるさと私の想い③の登場人物として、自分の小さな子どもと一緒の写真と共に署名入りで決意表明をしている。
そこで、二〇一七年には拙著『原発に侵される海』(南方新社)を、そして二〇二一年一月には各地の原発をはねのけた人々の営みと子どものにぎわいについて考えた水口(二〇一七)の「人新世の相互扶助論」(現代思想2017年12月号)をすでに送っていたので、次のような言葉を送った。
「いわゆる専門家の講師などはあまり呼ばずに〝そこで暮し続けることの専門家〟である皆さんの考えを、そして想いを中心にしてゆくことは肝要だと思います。そして日本各地の、世界各地のそのような専門家と意見交換をすることが大切だと思います。」
このことが今回この時評を書かせた理由である。
世界で共有できる町の未来
二〇二三年二月三日の朝日新聞に「核最終処分場〈協議の場〉 原発立地自治体と政府新設へ」の見出しの記事の最後は、〝次の段階となる概要調査に進むことに対し、鈴木直道知事が反対しており、建設の見通しは立っていない。〟と結ばれている。
これはどういうことかというと、寿都町での計画は難しそうだから、〝毒を喰らわば皿までも〟という原発立地自治体もあるだろうと期待して、国は方向転換しようとしているということである。だからといって寿都町の人々に油断があってはならない。
しかし、これで次々と新しい夢がわいてくるであろう。それは「子どもたちに核のゴミのない寿都を! 町民の会」に込められている、未来をそして先を常に考えようとしていることと深く関係している。
小泉元首相やSUGIZOがそのエネルギーに引きつけられるように寿都町民を応援にやってくる。福島の放射能汚染水の海洋放出の場合も、問題を大きくすればするほど、強行されてしまうとその後の消費者の反応が大きいという問題がある。しかし、寿都町が核のゴミをはねのけたということを広く知らせなくても、もう全国的に知られている。
町民の会の会報にいつも顔を出しているのが、マスコットキャラクターの風太君である。これは寿都町は日本の自治体では最初という一九八九年より運転している風力発電から、寿都町民が考えたものである。
ふりかかった火の粉として核のゴミ問題をはねのけ、自然エネルギーによって元気な町、寿都を多くの人々に知らせるのには、最適なシンボルと言える。
核のゴミ問題をクッキングボードとして、自然エネルギーによる自立という、世界で共有できる町の未来をつくり上げてゆくことを、高らかに発信するのである。今の世の中、それでモノが売れるという時代でもある。
原発をはねのける漁村
最後に、以上のことを通して国家と個人の関係を考えてみる。
霞ヶ浦では鹿島コンビナートの水ガメにするため、逆水門建設や総合開発計画が立てられたが、これらはまさに人為そのものであるが、その規模が大きければ大きいほど国家が表面に出てくる。そこでは個人はなすがままである。
国が考えている漁業管理(資源管理)のあり方をクロマグロで考えてみると、漁業者の漁業を規制することを、自由漁業の範ちゅうに入る釣りをやっている遊漁者(釣り人)にも押しつけているのである。
然別湖では漁業者がおらず遊漁者だけなので、遊漁者の自主管理であるかのごとくして、生物多様性や自然保護を名目にして、国や自治体が管理している。
遊漁者は釣りができる人間になったことを喜びありがたがっているが、そんな釣りは本来の望ましい姿ではない。釣りはもっと自由でのんびりしたものだろう。
国は、金をバラまき、核のゴミを原発立地自治体に押し付けようとしている。
これは、マフィアがシャブ漬けにして貧乏人から金をしぼり取るのとは逆のように見えるが、同じことである。シャブは扱わないとしているマフィアもあるというにもかかわらず、非道いことである。
そのことを今思えば、原発をはねのけた全国に30近くある漁村の一人一人の漁民の日常は、大変だったであろうと考えられる。
山口県豊北町の漁民の〝原発が国策なら、ブリを獲るのも立派な国益でしょうが〟(本誌第101号時評「押しつけの〝公益〟より〝人間としての自由〟」より)という自負はすごい。
(了)
フライの雑誌-第128号
特集◎バラシの研究
もう水辺で泣かないために
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フライの雑誌 124号大特集 3、4、5月は春祭り
北海道から沖縄まで、
毎年楽しみな春の釣りと、
その時使うフライ
ずっと春だったらいいのに!