たこはたこつぼが好きですが
単行本『葛西善蔵と釣りがしたい』所載
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映画監督の末永賢氏と新宿三丁目の居酒屋で酔いどれた。中国風をうたう店内にはチャイナドレスを着たお姉さんたちがいそがしく働いていた。
監督はわたしが書いた実写版『釣りキチ三平』関係者へのインタビュー記事を読んでくれていた。「あれは面白かった。」と言ってくれた。どこらへんが面白かったですかとたずねると、「ああいうのは映画雑誌にはぜったい載らない。」とのこと。同じ業界内の媒体だと記事の書き方にも制約があるのかもしれない。
釣りをやらない監督には、原作の『釣りキチ三平』への思い入れはない。愛子姉ちゃんが三平の実姉だというふざけた設定の改変を不遜だと思わない。原作に描かれた大自然の世界観が、実写でどのように表現されるのかへの恐れもない。
わたしの書いた記事はある意味で、『三平』実写化へのその辺への恨み節が出発点だ。だからわたしの記事が釣り師ではない監督にもウケたなら、釣り師であるかどうか以前に、どこか人として共通するエモーションを文章に感じたということだろう。マニア系な釣り雑誌の編集者としてはとてもうれしいことだ。
たこはたこつぼが好きですが、じゆうに泳げるひろい海にもあこがれます。
この日、監督はちょっときこしめしていた。中国文化に造詣が深い監督は、お店のお姉さんを呼びとめ、
「小姐、『よかいち』ボトルでくだしゃい。」
と、たどたどしい日本語で注文していた。監督の細い目は酔うほどにますます線で引いたようになる。前後左右にぐらぐらし始めた頭を見ながら、わたしは監督と初めて出会った夜を思い出していた。
深夜、学校の先輩たちと楽しくくつろいでいた部屋の扉がとつぜんバーンと開き、そこに見たことのない着流しの男が立っていた。細い目に銀縁の眼鏡をかけ、すでに濃くはなかった頭髪を後ろに撫でつけ、蚊トンボのようにやせていた。足元は雪駄だ。口元がぴくぴく震えている。目は少しも笑っていない。
男はいきなり一升瓶をテーブルの角でバーンと割った。ガラスが砕け、ゴム風船を叩きつけたときのように酒が飛び散り、わたしの足にかかった。薄笑いのまま「おまえら文句あるカー!」と叫んだ、それが監督だった。
文句あるもなにも、なんでそんなことされるのか分からなかった。腹が立ったが初対面だし歳上だし、抗議するか我慢するか迷った。男はどう見ても弱そうだったが、普通ではない気配も漂っていた。
するとまわりの人々が「やめましょうよ、もう~。」と言って、アルコール臭の充満している部屋の床を掃除しはじめた。だからわたしも雑巾を手にとった。わたしは一八歳だった。二〇歳の監督は、その頃はまだ監督ではなかったが、割れた一升瓶をぶら下げて薄笑いのまま左右にぐらぐら揺れていた。
今夜は二人でならんでお酒をのんで、わたしが書いた記事を監督がほめてくれている。
最近の監督は、若い頃の葛西善蔵が歳くったような風貌になってきた。
「フライの雑誌」オリジナルカレンダー(大きい方)、残り少なくなりました。