おいもを買う パートⅡ
単行本『葛西善蔵と釣りがしたい』所載
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今日も午後二時きっかりに、おいも屋さんの声が遠くから聞こえてきた。あ、おいもが来た、と認識した瞬間にわたしは二階にある編集室を飛び出て、階段を音たてて階下へと走り出していた。おじさんが行ってしまう前に買わなくては、また面倒なことになる。
わたしが息せき切って玄関ドアから飛び出したとき、おじさんは軽トラの運転席からフロントガラス越しにまっすぐわたしを見ていた。ふたりの視線があだち充のマンガのように重なった。見つめ合う無言の背景に三葉虫がほんわか舞った。
おじさんは、ゆったりとした動きで車を降りてきて、軍手をはめた。軽トラの荷台の釜のふたを開けていつものように聞いてきた。
「なんぼん?」
本来わたしはここで「一本でいいです。」と言うべきなのは分かっている。しつこいようだがわたしはそんなに毎週おいもをたくさん食べたいひとではない。でもおじさんの顔に刻まれた人生のしわの深さを見ると、こんな言葉が思わず口に出てしまう。
「一〇〇〇円分ください。」
「はいよ。」
おじさんは釜から子どもの頭ほどもある巨大なおいもを二本だしてきた。ドンと渡されるとずしりと重い。食べきれるわけがない、いもの量だ。どうすんだこれ。
それに一〇〇〇円のおいもはわたしにとって安くはない。一〇〇〇円あったらおいもの他にも使い道はいろいろある。でもしかたないのだ。だってわたしはパブロフのおいもだから。
おじさんに一〇〇〇円を払ってお礼を言うと、両腕に抱いた袋越しにあつあつのおいもの熱を感じた。また買っちゃった。小さな後悔と同じくらいの満足感を覚えながら、わたしは編集部へ戻ろうとした。
背中で軽トラのドアがバタン! と閉まった。えッ、と思って振り向くと、おじさんの軽トラがすごい勢いで走り去っていった。遠ざかるおいものうたがドップラー現象を起こしていた。次の猟場へ向かったのだ。
ああ、そんなあからさまな。
わたしはもう用済みなのですね。
(いっちょあがり。)
というおじさんの鼻歌が聞こえたような気がした。
翌週、うららかな日曜日の午後にくつろいでいたら、いつものおいも屋さんが秋空へおいもの歌を鳴り響かせながら、いつものようにやってきた。
いつものようにぴったりうちの目の前に駐車して、おもむろにスピーカーの音量を上げた気配である。早くおいもを買いに行かなくちゃと、気ばかり焦る。
しかしわたしがおいもを買いに行けば、どうしても最低一〇〇〇円分は買ってしまうことになる。わたしはそんなに毎週おいもをたくさん食べたいわけではない。
そこでちょうどそこらでぶらぶらしていた保育園児を呼びとめた。
「おいも買っといで。」
と、五〇〇円玉を一つ渡した。「五〇〇円分くださいって言うんだぞ。」
子どもを使っておじさんを避けるというのが少し情けないが、半分のお代ですむならそのほうがいい。我ながら名案だ。
園児はおつかいを頼まれてうれしいらしかった。五〇〇円玉を握りしめてすぐさま表へ飛び出して行った。カーテンの影からそっと表の様子をうかがうと(べつに隠れる必要もないんだが)、園児は車から降りてきたおじさんを見上げて、なにやら一丁前に会話をしている風だ。いつのまにおいもを一人で買えるようになったんだね。
しばらくして玄関のドアが勢いよく開いた。
「おいも買ってきたよ!」という元気のいい声がひびいた。
よくやった。これからはこの手でいこう。
鼻の穴をふくらませた園児から、ほかほかのおいもの袋を自慢げに手渡された。ズシリと重い。開けると、王蟲の王様みたいに太くて立派で巨大なおいもが一本、ゴロリと出てきた。
なんだこのおいもは。見たことがないでかさだ。これで五〇〇円なのか。お前おじさんになんて言ったんだ。
すると園児は、
「いちばん大きいおいも、いっぽんください、って言った。」
なんと。五歳なのにそんな大阪のおばさんみたいな要求をするとは。
おもわず感心していると、外で軽トラのドアがバタンッと閉まる音がした。そしてふたたびおいものうたが流れ出し、ゆらりと揺れて遠ざかった。おじさんは次の猟場へと向かったのである。
今日は大阪のおばさんみたいな園児のおかげで、五〇〇円ぽっきりで史上最大のおいもを手に入れることができた。そしておじさんのやさしさを知った。
わたしは一生おいもを買い続けなくてはいけない。
だってわたしは、おじさんのおいものとりこだから。
(了)
おいもを買う パートⅡ
単行本『葛西善蔵と釣りがしたい』所載
「フライの雑誌」オリジナルカレンダー(大きい方)、残り少なくなりました。