遊びと獣害をフライフィッシングが止揚する
単行本『葛西善蔵と釣りがしたい』所載
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NHK「クローズアップ現代」で〈ハンターが絶滅する!?~見直される〝狩猟文化〟〉という特集を組んだ。猟師と聞けば、名高い阿仁マタギや打当マタギを想起する。番組に出ていた〝趣味で猟をする〟あるいは〝駆除のために猟をする〟ハンターたちと、マタギとはなにが違うんだろうか。
番組に出演していた『ぼくは猟師になった』著者の千松信也氏は、ツイッターでこう言っている。
〝 鳥獣害対策を前面に出した感じでの狩猟者育成という動きには違和感がある。結局、農地や街の生活、都市住民の好む「豊かな自然」を守るために猟師がコマとして使われるイメージ。僕は自分が捕りたい獲物を捕り、捕れと言われたら捕らない。自然の中での立ち位置は、自然と相談して自分自身で決める。〟
この「自然と相談して自分自身で決める。」という言葉には棘がある。千松氏の肩書きをNHKは「猟師」としていた。千松氏は職業的猟師ではない。自身の著書でも「仕事は別にある」と明記している。「猟師」というワードは版元のプロモーションであり、NHKのキャッチコピーだろう。
現代日本においては、野生鳥獣の猟で家族を養い生計をたてることは不可能に近い。野生鳥獣の肉は法律の制限で食肉として商業的に流通させるのはむずかしい。番組中でも殺したシカを山に埋めていた。有害鳥獣の駆除で手間賃をもらうことに、マタギのような〝山の神への感謝〟や〝誇り〟を持てるはずもない。育成された猟師は「都市生活者のコマ」だという千松氏の言葉は重い。
フライフィッシングでは、いろいろな鳥や獣の羽や毛をフライタイイングのための材料に使う。飼い犬の抜け毛を使うこともあるが、たいていはそのために鳥や獣を殺して、さばいて、なめす。(ほとんどの釣り人は商品としてパック詰めされたものを買ってくる)
フライフィッシングはもちろん職業ではないから、釣り人は自分たちの〝遊び〟のために、生きている動物の命を奪っていることになる。
たかが遊びのために人生を賭けることもあるのが、人間が他の生き物とは決定的に異なる点だ。ことにフライフィッシャーには〝釣りをしなくちゃ生きている意味がない〟などと真剣な眼差しで熱く語る人がままいたりする。ヘンタイ系フライフィッシング専門誌の編集者としては、〝人間の業〟というものを日々思い知らされている。
そして現代日本で、野生鳥獣を捕りたいからという理由で捕って肉を食うのも、同じく〝人間の業〟に他ならない。自分も自然の一員のくせに自分だけ自然界から切り離して考えたがる生き物は、人間だけだ。それこそがまさに〝業〟なのだ。
桐生の毛鉤職人、島崎憲司郎さんのご自宅には、フライの材料とするための各種の鳥はもちろん、クマやらシカやら、フクロギツネやらの丸ごとの毛皮が何体もブラブラぶら下がっている。家を訪れた女友達に「この家、ケモノ臭くない?」と言われたという。
島崎さんは高らかに謳う。
〝タイイングスペースの周囲にも常時七~八頭ほどブラ下げてある。…「百まで生きても一生使う分はあるな」と脂下がりつつ傍らの毛を撫でたりする充足感! ケモノ臭い云々ぐらいは全然何ともないのだ。〟(『フライの雑誌』第九八号)
九州宮崎県高原町に移住したフライタイヤーの牧浩之氏は、移住後すぐに狩猟免許を取得した。地元のキュウシュウシカを狩り、自らさばいて毛皮をなめしてその毛をフライに巻いている。そして大きなヤマメを釣り上げている。牧氏は先日NHKから取材を受けた。テーマは有害駆除の鳥獣をフライマテリアルに活用して地域活性化につなげる可能性について。番組は全国版のニュースで放送された。
〝遊び〟と〝獣害〟をフライフィッシングが止揚する未来がそこに見えてくる。
おのれの遊びへ真剣に対峙する人は、けして他者のいのちを弄ぶことそのものを遊ばない。人生は短い。命果てるその時まで真剣に遊ぼう。
命より大切な遊びを邪魔するものは、わが命と引き換えに排除するのみである。
それはちょっと違うかも。
(了)
遊びと獣害をフライフィッシングが止揚する
単行本『葛西善蔵と釣りがしたい』所載
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「フライの雑誌」オリジナルカレンダー(大きい方)、残り少なくなりました。