(2024年1月1日 オンライン登載)
クルマエビと農薬
水口憲哉・水口美佐枝
(資源維持研究所)
要旨
水稲栽培に用いられる箱処理剤として使用されるフィプロニルがアキアカネなどの赤トンボを激減させたことが明らかになっている。
クルマエビにおいてもHano et al(2019)によって同様のことが心配された。全国的にフィプロニルが出荷開始された1996年よりクルマエビの漁獲量が減少し始めた。
フィプロニル使用の時空的まだら模様の状況を踏まえて、浜名湖、愛媛県、香川県、有明海におけるクルマエビ漁獲量変動を検討した。フィプロニル不使用の市町村でクルマエビ漁獲量が安定している。
クルマエビで盛んな栽培漁業もフィプロニルには抗しようもないこととクルマエビ養殖は農薬から逃げていることを明らかにした。
クルマエビ養殖を維持し続けている姫島村の養殖収獲量、種苗放流量、漁獲量の長期的資料をもとに三者の関係を検討し、大分県におけるクルマエビとフィプロニルの関係を検討し、クルマエビと農薬の関係を明らかにした。
目次
はじめに
第1章 Hano et al (2019) について
第2章 クルマエビ漁獲量変動の概要
第3章 フィプロニル使用の時空的まだら模様
第4章 四海域の検討
第5章 フィプロニル不使用の市町村
第6章 栽培漁業のもつ意味
第7章 クルマエビ養殖は農薬から逃げる
第8章 大分県の検討
第9章 漁業としての対応
おわりに
謝辞
引用文献 連絡先
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クルマエビと農薬 水口・水口 (2024)
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はじめに|第1章|第2章|第3章|第4章|第5章|第6章|第7章|第8章|第9章|おわりに|謝辞|引用文献 連絡先
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第8章 大分県の検討
全国のクルマエビ養殖生産量(収獲量)が漁獲量を上回ったのは、1989年のプラス12トンと1997年のプラス97トンであるが、後者の1年置いた1999年以後現在まで養殖生産量が漁獲量を上回り続け2015年には4倍弱となる。これは農薬を逃げた養殖業に対して漁業権との関係で漁場を変更できない、ある意味農薬から逃げられない漁業のしからしむるところである。
そのような漁獲量と養殖生産量の関係を、同一市町村で長期にわたって検討できるのが大分県東国東郡姫島村である。それを可能にしているのは国東半島の北部沖6㎞の瀬戸内海にある姫島が6.8㎢の全島が姫島村となっているが、ここでは2005年の水稲作付面積1haで現在はゼロとなっているからである。大分県農協東部事業部姫島支店によれば、自家用に栽培していた時代でも、手植え中心でフィプロニルをはじめとする農薬使用は全くなかったということである。箱処理剤の入る余地がない。
1)養殖収獲量
鎌田(2001)で述べられているように、姫島の養殖収獲量は全国の約10分の1を占めることが図表8-1でわかる。この図はまた1養殖場としては最大の収獲量を示しながら日本のクルマエビ養殖の歴史を体現しつつも独自の取り組みを歩む様子を示してもいる。
そして、農薬から逃げることもなくその地域の農薬の使用状況によっては養殖場を運営できることをも示している。
2)種苗放流事業
図表8-2に示されるように、姫島村のクルマエビ種苗放流量は1972年の26万尾が最初である。その費用について、八木(1992)は次のように報告している。「また59年度(1984)地元にクルマエビ養殖場(村営)があるのを利用し、養殖池の回転とも関連して、6㎝程度の種苗57万尾を無償で入手して各浦地先に放流し、その80%以上が採捕されている。」 なお、ここでは村営とあるのは誤りで、姫島車エビ養殖株式会社は村も出資する第三セクターである。
3)漁獲量
図表8-3において全国のクルマエビ漁獲量が1960年代後半に急激に減少しているのは、この頃、瀬戸内海を始めとして全国的に行われた沿岸域の埋め立て工事により、クルマエビの生息域である干潟等の漁場が消滅したからである(土井長之ほか(1973)、土井長之(1973))。
それを受けるようにして“瀬戸内海におけるクルマエビの人工種苗の放流尾数は、1964年の数10万尾から1968年には500万尾を超え”(浜崎・北田(2005))それも瀬戸内海西部海域に多かった。その結果、1967、8年以前はクルマエビの漁獲されることのなかった姫島において、沖建網やキス流し網にクルマエビが混獲されるようになった。
そこで姫島村のクルマエビの漁業の中心である流し刺し網が1974年に創始された (宮澤2005)。このクルマエビ流し刺し網漁は7月1日から12月31日までの漁期であり、共第8号漁業権行使規則中の業態別21番の漁業期節により漁場利用等資源維持の決まりが定められている。
図表8-4に姫島村におけるクルマエビ漁獲量の変遷を示す。宮澤(2005)によれば、1999~2003年の年平均でクルマエビ流し刺し網漁の年間漁獲金額が2億9000万円(80経営体)であるが、1995年頃までの10年間は建網と並んで4億円前後の生産金額でこれが一番高額であった。その後一位は続くが生産金額は2億円くらいまで減ってゆく。なお、クルマエビ専門の漁法としては他にエビ建網(5月より12月31日まで)がある。
上述のように1985年から20数年間は30トンを超えて漁獲している。フィプロニルの影響で全国のクルマエビ漁獲量が1996年から減少を始めるが姫島ではその後10年間ほどは全国ほどには減少が激しくない。
クルマエビの漁獲量、養殖収獲量そして種苗放流事業の関係を整理すると、姫島村が力を入れて養殖会社をつくることにより、それからの利益、働く場、そして放流稚エビの供給がつくり上げられ、さらに漁業での回収という形で、養殖事業を出発点とした循環の成果が様々な形で村民に還元している。
大分県では一村一品運動が起こり、1980年姫島村でも姫島車えび養殖株式会社のクルマエビが指定された。その時のクルマエビ養殖収獲量は81トンであった。その後1988年には養殖収獲量250トン、漁獲量では1997年に69トンというように養殖収獲量と漁獲量との合計値で最高値を記録し全国の市町村で名実共に一位となった。1980年当時大分県では旧村は11あったが、現在も村を維持しているのは姫島村のみであり一村一品運動でもその名の通り代表的な村といえる。
姫島村は共同漁業権漁場内での小型底曳網の操業を認めず、村内でのフィプロニルが使用されていない。それではなぜ2001年 58トンが2002年の38トンへとクルマエビの漁獲量が減少し、それまで50トンと70トンの間を変動していたのが以後10トン以下にまで減少してしまったのか。そのことを大分県の漁獲量変動の関係を見ながら検討する。
4)大分県のクルマエビ漁獲量とフィプロニルの関係
すでに述べたように1960年代後半の減少は埋立てによるもので、1970年代に入っての種苗放流により1980年から1995年までは500トン前後を維持する。しかし、図表8-3に見られるようにフィプロニルの出荷開始と共に急激な減少を示し、2015年には35トンとなる。
5)種苗放流量と漁獲量(大分県)
漁場の環境収容力との関係からか種苗放流量が2000万尾を超えると、放流量の増加に見合う漁獲量の増加がみられないという1977年より1997年までの傾向と、1998年より2015年までのそれまでとは全く傾向の異なる理解のできない現象が図表8-5に示された。これは図表6-1の静岡県とはまた違う。両方の図表でフィプロニル出荷前の状況は似ているので、フィプロニル出荷後に起こったことが静岡県と大分県では異なっているということかもしれない。
6)種苗放流量と漁獲量(姫島村)
姫島村については、大分県や静岡県とは2つの点で異なる結果がでた。図表8-6。まず、異なる傾向を示す時期がフィプロニル出荷開始の1996年およびその2、3年後ではなく、2002年から3年にかけてであること。次に、漁獲量が半減した2003年以後も放流量と漁獲量の間には2002年以前と似たような関係が成立していることである。
7)西部3市と姫島との関係
クルマエビの移動について、寺井(2003)は『成長及び季節回遊に伴い干潟域~周防灘沖合域~伊予灘外海域へ、東方へ一方方向に移動する』としている。また畦地と徳丸(2012)は2007年から2010年にかけて、大分県周防灘海域の豊後高田市、宇佐市、中津市の西部3市の各地先で囲い網により短期飼育後に放流した702000尾のクルマエビの51.1%が姫島周辺で回収されたとしている。
この大分県の周防灘に面する西部3市で放流した稚エビの5割が姫島周辺で漁獲されるという現象に注目し、まずこれら西部3市における種苗放流量と漁獲量の関係を図表8-7に示した。大分県(図表8-5)で見られたフィプロニル出荷開始後の1998年より関係が大きく変わるのではなくこの西部3市では2002年以後明確にこの関係が変わった。これは姫島村(図表8-6)で2003年から関係が変わったことと関係しているのかもしれない。
いろいろ調べた結果、2001年から2005年のJA大分宇佐の「宇佐地区うまい米栽培暦」を入手出来た。それによると箱処理剤としてフィプロニルを1%含有するピカピカ粒剤を施用するとあった。西部3市で放流量と漁獲量の関係が2002年明確に変化した理由として、フィプロニル含有の箱処理剤の使用が推察された。ここで、フィプロニル使用の2002年以後の2007年から2010年にかけて上記標識放流調査が行われたことは、その5割が姫島周辺海域で再捕されることの意味や2001年以前にも同様なことが起こっていたのかを考えさせる。
8)姫島村の漁獲量変動
そこで上記したように西部3市で放流したクルマエビの5割が姫島周辺海域で採捕されるということに鑑み、姫島の放流量に西部3市の合計放流量の2分の1を加えたものを放流量として姫島の漁獲量との関係を見るために図表8-8を作成した。
ここでは姫島村の漁獲量と西部3市合計放流量の2分の1と姫島村の放流量を加えた放流量との二者の間に、図表8-5の大分県で見られたフィプロニル出荷開始後に起こった現象のような関係が生じている。このことが図表8-4で見た姫島村のクルマエビ漁獲量が2001年の58トンから2002年の38トンへと急落したことの理由と考えられる。しかし、2001年以前にも西部3市で種苗放流量したものの5割が姫島周辺海域で採捕されたかどうかは上記7)の最後に述べたようにわからない。
日本栽培漁業協会および日裁協と水産庁によるクルマエビ種苗放流資料によれば、姫島村の種苗入手単価は1988、1993、1995、1996、2000、2001、2003、2004の8年間も含めて2004年までは0円となっている。
2005~2008年は1尾9円前後の有償となっている。上記過剰放流と考えられる8年間を除いた無償時代は、養殖収獲量の多い年は種苗放流量も多いという関係が明確に見られる。このことから、姫島村ではフィプロニルの影響が明確になるまでは、養殖収獲量の多い年は余裕をもって放流種苗を無償で提供し、それが漁獲量の増加に結びつくという好ましい関係が成立していたことになる。
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