そもそも〈いい釣り場〉の定義は様々だ。数は少なくても大きな魚が釣れる、とにかくたくさん釣れる、ひとりで釣りたい、みんなで釣りたい、自然の中で釣りたい、近所で釣りたい、安全に釣りたい、スリルを味わいたい、それぞれ価値観は相反する。一人の釣り人の中でも基準は変わる。
釣りが場所と時間と資源を占有する遊びである以上、民主主義より封建主義の方に親和性が高い。でもじゃあ貴族社会なりに戻すか。自分は貴族か。それとも貴族じゃないほうか。そんなこと言ってても始まらない。
現代の日本ではお決まりの、みんなで話し合ってケースごとに対処していきましょう、でやるしかない。お題目の〈釣りで町起こし〉は、じつは釣りはサブ要素だ。地域丸ごとのデザインとセットになるので、行政の恒常的な後ろ支えが欠かせない。支えのない場所で踏ん張るとどこかに無理が生じる。いい釣りのために行政の向かう先を決める選挙へ行こう。
釣り師的に利己主義なわたしは、上流から下流まで自分の持ち物の山と川が欲しい。途中に湖があればなおいいね。河口に占有堤防も欲しい。島も欲しい。領主様あこがれる。釣り師はけっこうみんな同意してくれると思うんだけどな。なのではあるが、みんなで話し合ってケースごとに対処していきましょう。
八王子に降る雪を地面から見上げながら、いい歳こいて、というようなことを考えていました。