【公開記事】 ニジマスものがたり 第五回(加藤憲司)
フライの雑誌-第110号(2016)掲載
日本で初めて渓流魚のゾーニング管理を提案した元東京都水試奥多摩分場の研究者・加藤憲司さん。定年退職後は熊本県人吉市に暮らし、渓流魚の研究を続けていらっしゃいます。加藤さんが自らの過去約40年以上にわたるニジマス研究を振り返る連載、「ニジマスものがたり」(フライの雑誌-第106号〜第112号掲載)を公開します。日本人とニジマスとの知られざる関わりを、当事者として堀りおこす内容は、新鮮な驚きと発見の連続です。(編集部)
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ニジマスものがたり
─ 研究者として、釣り人として
加藤憲司(熊本県人吉市在住|元東京都水産試験場主任研究員)
2011年3月、私は36年間勤務した東京都水産試験場(現東京都島しょ農林水産総合センター)を定年退職した。そして現在は、熊本県の人吉市で定年後の気ままな生活を楽しんでいる。しかし、魚に関する研究資料は全て転居先へ運び、今も研究を続けている。
大学時代も含めれば40年以上にわたる研究者人生の中で、ニジマス増養殖に関わる問題はその節々で私の目の前に出現した。
本稿では、日本の渓流におけるニジマスについて、研究者として、また一釣り人として取り組んできた経過を、現場の状況を思い出しながら語ってみたい。そして、今後の釣り場造りに少しでも役立てていただけたら幸いである。
(加藤憲司)
加藤憲司(かとうけんじ)|1951年東京都立川市生まれ。東京水産大学(現東京海洋大学)を卒業と同時に東京都水産試験場奥多摩分場に勤務。サケ・マスなどの研究に従事。小笠原、大島などを経て奥多摩さかな養殖センターで2011年に定年退職。現在は熊本県で研究生活を送る。本誌および各種釣り雑誌へ寄稿多数。本誌第78号にロングインタビューを掲載(下)。著書に、日本で初めて釣り人へ渓流魚のゾーニング管理を提案した『ヤマメ・アマゴその生態と釣り』(つり人社1990年)、『トビウオは何メートル飛べるか』(リベルタ出版2006年)他。
※本記事は、フライの雑誌-第106号(2015・品切)から、フライの雑誌-第112号(2017・品切れ)まで連載されました(全7回)。
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第5回
フライの雑誌-第110号
産卵床も確認できた
河床勾配は、日本でニジマス自然繁殖地が少ない
決定的な理由ではない、と考えた。
山上川ではニジマスの産卵床も確認できた。
マス類は、原則的にオス・メスがペアーを組んで産卵する。上流にメスが位置して川底の砂利を掘り、産卵床をつくる。オスはそのすぐ下流にいてメスの産卵を促す。
メスが放卵すると同時にオスが放精し、受精は一瞬で完了する。その直後、メスは再び砂利を跳ね上げて受精した卵を埋める。
山上川では、淵尻の水深20センチ前後の浅瀬に、長さ1.3メートル、幅60センチほどの長円形の産卵床が2カ所掘られていた。掘り返された砂利の表面には、すでに付着藻類がうすく繁茂しはじめていた。
従ってこの産卵床は、産卵後1ヵ月近くを経過したものと考えられた。これらの産卵床を掘り返しても卵や稚魚は認められず、すでにふ化を終えて泳ぎだしたのであろう。
これほどに大きな産卵床を掘るのは、体長50~60センチのニジマス以外には考えられない。
山上川に生息するアマゴやイワナ(キリクチ)は、最大体長30センチほどであり、その産卵床は、せいぜい長さ50センチ、幅30センチ程度である。
地元の漁協組合員からの聞き取り調査では、ニジマスの産卵期は11月中旬から5月初旬まで長期にわたり、禁漁区内のいたる所で産卵行動が観察されるとの話であった。
このほか、禁漁区設置の経過やニジマスの放流時期についても、地元の古老にお話しをうかがうことができた。禁漁区設置の理由は、この地域が霊峰である大峯山の登山口にあたることから、宗教上の理由によるものであろうとのことであった。
また、ニジマスの放流時期に関する正確な記録はなかったものの、おおむね大正末期~昭和初期であり、その後の放流は一切行われていないという。
帰京後、正確な放流年を知るため、奈良県庁の水産担当部署に照会の手紙を書いたが、ナシのつぶてであった。
自然繁殖しにくい理由は?
日本でニジマスが自然繁殖しにくい理由については、これまで多くの研究者によって様々な推測が語られてきた。
これらをとりまとめた京都大学名誉教授の川那部浩哉氏は、 ①鳥類による食害、②釣獲による減耗、③継代養殖に伴う放流魚の活力低下、④出水に伴う流失などの可能性をあげている。
山上川の調査を終えて帰京後、この川の自然環境を、ニジマス原産地であるカリフォルニア州ピット川水系のデータと比較してみた。また、多摩川水系でニジマスの自然産卵が認められた管理釣り場のデータとも比べた。
その結果、標高以外の環境条件、すなわち、河川流量、河床勾配、水温、生息魚種などの諸条件で、これらの3水系は驚くほど似ていたのである。
特に河床勾配は重要であった。これまで、日本でニジマスが自然繁殖しにくい理由として「日本の渓流は勾配が急なため、出水時に放流魚が流されてしまうから」という推測が挙げられていたからである。
わずか3水系のデータではあるが、「河床勾配は、日本でニジマス自然繁殖地が少ない決定的な理由ではない」と私は考えた。
禁漁の遵守が最大の要因
やはり、「禁漁区」が最大の要因なのはまちがいない。
前号で述べたとおり、目視されたニジマスは、成魚の97%、稚魚の94%が禁漁区内に生息しており、上・下流の解禁区で確認されたニジマスはごくわずかであった。
要するに「禁漁区に指定して、釣らなければ魚は残る」のである。
山上川の禁漁区両岸には人家が立ち並ぶ。大峯山登山のための宿坊。はたまた有名な漢方整腸薬「陀羅尼助丸(だらにすけがん)」の薬房などが軒を連ね、街は静かな活気に満ちていた。
宗教上の理由から、地元の人たちが密漁をしなかったのはもちろんである。そして「これだけの家が川岸から見張っているんだから、他所から来ても密漁なんか絶対にできないよ」という漁協組合員の言葉には説得力があった。
つまり、「禁漁区の設置」だけでなく、「徹底した禁漁の遵守」が、ニジマスの楽園を守ってきた最大の要因と考えられるのである。
これらの調査結果は論文にとりまとめ、2000年発行の「水産増殖、48巻4号」に〈熊野川水系上流部、山上川におけるニジマスの自然繁殖個体群〉という標題で発表した。
その15年前の1985年に発表した多摩川水系の管理釣場内におけるニジマスの自然産卵に関する論文で、私はこう書いた。
「日本の川でニジマス自然繁殖地の少ない理由の一つに〝放流魚が釣られ切ってしまうから〟ということがあげられるだろう」
と。そして山上川では、この仮説を強力にサポートする調査結果が得られたのである。
釣られやすいニジマス
産卵期まで川に魚が残っていれば、自然産卵を行う。
たとえそれが経代養殖されたニジマスであっても。
ニジマスは確かに釣りやすい魚である。
長野県水産試験場の調査では、放流した成魚ニジマスの大半が、一週間ほどで釣られ切ってしまうことがわかっている。
さらに、他のマス類と釣られやすさを比較すると、アメリカでは、カワマスよりは釣りづらいものの、ブラウントラウトに比べてはるかに釣られやすいという結果が得られている。また、岐阜県水産試験場の調査でも、アマゴより格段に釣られやすいことがわかっている。
こうした事実も勘案すると、釣り人の多い川では、ニジマスの放流魚は非常に生き残りにくいと考えるのが妥当であろう。
山上川の論文が発表された2000年頃になると、日本でもキャッチ・アンド・リリース河川がかなり増えてきた。そしてこれらの河川では、マス類の産卵期になると、ニジマスをはじめとする多くのマス類の産卵行動が確認されるようになった。
「産卵期まで川に魚が残っていれば、自然産卵を行う。たとえそれが経代養殖されたマスであっても」
という事実も明らかになったのである。
伊豆大島での「出会い」
山上川のニジマス論文が出た翌年の2001年、葛飾区の本場から伊豆大島の水産試験場へ転勤となった。
二度目の離島勤務である。
今度は、調査船に乗って海洋環境や漁場の調査を行うことになった。泊まりがけの乗船もあり、50歳を超えた体には少々きつい時がある。それでも、やはり海はいい。潮の香りをかぎながら、魚類や海藻、エビや貝など様々な調査に取り組んだ。
当面する調査もそうだが、これまでに行ってきた研究の総まとめも行わなくてはならない。
定年退職まであと10年を切った。幸い試験場の倉庫にスペースを確保でき、これまで蓄積した資料を持ち込んで整理に励んだ。
倉庫内には古い本棚がいくつか並んでいた。そこには、これまた古い資料が未整理のままホコリをかぶって積まれていた。
「ついでに整理してやろう」と閲覧をはじめた中に、「農林省水産局発行、水産増殖効果事例集、1939(昭和14)年」という資料を見つけた。
戦前に発行されたガリ版刷りの小冊子である。北は北海道から南は高知県まで、各県で行われた水産増殖の事例が記されている。
ハッと閃くものがあり、急いで「奈良県」のページを開けてみた。
なんと、山上川のニジマス放流記録がのっているではないか。
山上川の古老に尋ねても正確な放流年はわからず、奈良県庁に問い合わせても無視された、ふ化・放流事業の記録が〝1934年に開始、放流数は3万2千4百尾〟と明記されていたのである。
記されていたのはふ化事業開始年の1934年のみで、放流年の詳細はわからなかった。しかし、この冊子が発行された1939年までの間に放流が行われたことは明らかであった。
私は、この小冊子の内容を「補足資料」として、2006年発行の「水産増殖、54巻1号」に発表した。地元の古老からの聞き取り調査によって記した「大正末期~昭和初期」より少し後ではあったが、確実な放流記録を見いだすことができたのである。
なんと伊豆大島で。
第6回へつづく
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『フライの雑誌』第124号は、待ちに待った春、ココロもカラダも自由な「春の号」です。
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