フライの雑誌-第123号(2021年10月発行)から、樋口明雄さんの「酒を断つ」を公開します。第123号掲載の連載読み物の中で圧倒的一番人気でした。
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酒を断つ
樋口明雄(山梨県北杜市・作家)
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四十年以上、文字通り浴びるほど酒を飲んできた。
自分の人生は常に酒とともにあったといってもいい。
昔から酒と太公望とは切っても切り離せないぐらい近しい間柄だったようで、古今東西、有名な釣り師、フィッシャーマンに酒好きや飲兵衛は多いし、それがゆえ人生に汚点を残したり、体を壊したり、あるいは亡くなったりする者は数え切れないほどいる。
酒は百薬の長といわれる。
この言葉の出所は漢書〈食貨志〉にあり、「夫鹽食肴之將、酒百薬之長、嘉會之好」という一文の中に見られる。ざっと訳せば、塩は大切な食材で、酒はどんな良薬よりも健康によく、ともに祝い事に欠かせない──という意味となる。
ところが兼好法師がこれを揶揄して、ご存じ〈徒然草〉にはこう書かれている。
──百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ
けっきょく「百薬の長」というのは、飲み助たちが自分を正当化するために使う常套句であり、たしかに考えてみると、酒が健康を向上させて病気から守ってくれたという話はあまり聞いたことがない。
一月は正月で酒が飲めるぞ──という歌があるが、つまるところ、酒飲みにとっては、あらゆることが飲むための理由となる。ぶっちゃけ、そうすることによって酒を飲む行為を正当化しているのである。そのモチベーションの裏側には、自身の罪の意識のようなものが見え隠れするから悲しい。
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私にとって都会──とりわけ杉並区阿佐ヶ谷は聖地であった。
JR中央線沿線の、そこそこ賑わいのある街である。ことに駅周辺にはバー、パブ、スナック、小料理屋、居酒屋、焼き鳥屋などが雑多にひしめき合い、ちょっとした歓楽地となっている。
あの街に暮らしていた十年近い年月。思うに素面の時間よりも酔っていた時間のほうが長かったのではなかろうか。
夕方になれば酒場が恋しくなり、まずは行きつけのガード下の居酒屋の戸をガラリと開ける。さらに近辺の路地をうろつき、何軒も梯子をし、飲み明かした。
当時、阿佐ヶ谷の飲み屋には、さまざまな職業の人間たちが集っていた。小説家、漫画家、編集者、会社員、庭師、大工、絵描き、歌手、音楽家、予備自衛官から書道家、武術家まで、種々雑多な人々がいて、酔いにまかせて談論風発。乱痴気騒ぎのあげく喧嘩が始まったりと珍騒動には事欠かなかった。
またこの街にはなぜか近辺のフライフィッシャーたちが集まる店があって、顔ぶれがそろえば釣り談義が果てしなく続いた。酔った勢いで店の外でフライロッドをつなぎ、誰がいちばんダブルホールが巧いかを競い合い、通行人の迷惑をかえりみずにキャスティングを繰り返したりしたことだってあった(よく警察が飛んでこなかったものだ)。
釣りだけではない。映画や小説から時事ネタ、世間話、猥談。よくもまあ、ここまでしゃべることがあるものだと思えるほど、あれやこれや飲み仲間らとダベりまくった。
外が明るくなる頃にようやく看板となり、怪しげな飲み代を払って店を出る。通勤途中のサラリーマンやOLたちに遠巻きに避けられながら、自分は素面なのだというふうを無理に装い、ゾンビのようにゆらゆらと揺れて歩き、マンションに帰って着替えもせずにベッドに倒れ込み、午後まで爆睡していた。
そんな酒浸りの日々が楽しくて仕方なかったのである。
もともと酒に強い体質らしく、ふつうの人が酩酊するほど飲んでも、さほど酔いが回らなかった。飲めば飲むほど意識が冴え渡り、気分がハイになってゆく。
当時は酔って仕事ができなくなるなんてことがなかった。それどころか、むしろ飲んだ勢いで筆が進んだりした。
酒で誰かに迷惑をかけた記憶はない。
ベンチや道端で寝転がっていたり、店や電車、タクシーの中で汚物を発射したり、プラットホームや側溝から転落したり、他人にたちの悪い絡みかたをしたり、人を傷つける汚言を吐き散らしたりといったことは絶対になかった。
それはひとえに酒に強かったからだ。
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よく飲み仲間から「樋口は飲んでも変わらない」といわれたものだった。
痛飲のあげく、物が二重に見えたり、千鳥足になることはあったが、意識だけははっきりしていた。自分が酒に強いという自負はたしかにあったし、自分を失うほどへべれけに酩酊する者を見てあきれたり、気の毒に思ったりした。
ところがそこに大きな罠があった。
酒を飲む人は二種類に分けられると思う。
たとえば食前酒にワインをたしなむとか、料理とともに飲むだけの人は、酒が食事のメニューのひとつに過ぎないから、食事の終了とともにきちんと飲み終わる。
一方、私のように酔うことが目的で飲む人間が少なからずいる。
これがいちばんの問題。
酒には耐性作用というものがある。それが備わった人間は、飲めば飲むほど酒に強くなる。そうなると、少々飲んだだけでは酔わないから物足りない。さらに杯を重ね、酔うまで飲む。これを繰り返すうちに、どんどん飲酒量が増えていくことになる。
人は酒に酔うとドーパミンという脳内快楽物質が出る。だから心地よくなる。幸せや満足を感じる。これは麻薬とまったく同じ仕組み。
ところが耐性作用のために、飲めば飲むほど酔わなくなる。すなわちドーパミンが出にくくなる。すると脳はさらなる快楽を求めて、もっと酒を飲めと無言の指令を出す。これが悪循環の原因である。
そうして酒代がかさみ、次第に健康を害していくのである。
自分をコントロールしながら適度に酒と付き合える人は、まったく問題ない。が、酔うことが目的で酒を飲む人間の多くは、刹那的に自分が幸せだという錯覚に陥ることはあるが、往々にして不幸の崖っぷちに向かって歩いている。
私はまさにその悪例だった。
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毎週、一日か二日、休肝日を作っていたときもあった。ところが、いつの間にか自分に甘えて毎日のように飲んでしまう生活に戻っていた。半年以上、休肝日なしなんてこともざらにあって、さぞかし肝臓に負担を掛けていただろう。
なまじ酒に強いために、嘔吐や不快感といった宿酔になることは滅多になかったが、翌朝、「酒臭い」と妻にいわれることが何度かあった。
必要とわかりつつ、自分で休肝日が作れない。さらに家の酒のストックが尽きるのが怖くて、なくなる前に買いに行ってしまう。なにしろ最盛期は、焼酎『いいちこ』の1・8㎖パックをたったの三日で空けてしまっていたぐらいだ。
阿佐ヶ谷で飲んでいた頃のように、毎回、明け方まで飲み続けることはさすがになくなったが、たとえば自宅でひとり飲んでいて眠くなり、「これが最後の一杯」と自分にいいきかせて作った水割りを飲み干すと、「いやいや、今度こそ最後の一杯」とまた次の水割りを作ってしまい、それが五回ぐらい続いたりする……。
さほど酔わないから、あるいは宿酔にならないから無問題だなんていくらいっても、何の意味もない。
そう。おわかりのとおり──すでに立派なアルコール依存症である。
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六十一歳にして、初めて断酒を決行した。
二〇二一年五月十六日にやめて以来、この原稿の執筆時で四カ月となる。その間、文字通り一滴も飲んでいない。
あれだけ日々、飲んでいた自分にとっては驚くべきことだった。なにしろそれまで、休肝日を三日と作れなかったのである。
飲酒量を減らす節酒や、一時的にやめる禁酒ではなく、この先一生飲まないための断酒。
周囲から「お前が断酒なんて何の冗談だ」と笑われることもあるが、「もしも次に酒を飲むとしたら、それは自分が死ぬ前の日ですね」と本気で答えている。
「そんな無理せず、たまには少しぐらい飲めば?」といわれることも多い。しかし甘言に乗せられて、ちょっとでも飲んでしまえば元の木阿弥。たちまち「振り出しに戻る」である。
私のように酒に飲まれるタイプの人間にとって、その一滴が呼び水となって形状記憶合金のようにすっかり元通りの姿になってしまうだろう。
断酒者が再飲酒してしまうことを《スリップ》というが、そうなってしまう罠はそこらじゅうにある。ここまで我慢してきたのだから、そろそろ一杯ぐらいいいだろうとか、毎日はやめて土日だけ飲むことにしようとか、そういうふうに自分のルールをゆるめていき、気がついたら元に戻っているというケースが多い。
酒飲みは飲むために勝手な理由を作るが、同じように再飲酒のためにありとあらゆる理由を作ろうとする。
だから「飲まないといったら、断乎として飲まない」という厳然としたルールを自分に課しておくしかないのである。この四十年ちょっとで一生分飲んだのだ。だから、あとは完全にアルコールレスな人生を送るべきだと自分にいいきかせている。
断酒決行の理由のひとつは、少しでも健康を維持して長生きをしたいと思ったからだ。酒は決して百薬の長ではなく、やはり万の病は酒よりこそ起こるのである。
毎年行われる市の総合健診で必ず引っかかるのは、中性脂肪と肝臓の数値であった。どちらも飲酒が関係するもので、とりわけ肝臓の数値であるγ─GTPに関しては、近年では400前後もあった。
それを少しでも下げようとウコンを飲んでみたり、怪しげな広告に引っかかってドリンクを購入したりした。どれも効果がなかったし、そこまでして酒を飲まなければならない理由って何だろうと思った。
断酒には体力が必要だという。だから、歳をとってしまえばどんどんそれが難しくなる。だったら今のうちに実行するしかない。
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最初の三日はつらかった。
喉から手が出るほど、酒が欲しかった。
とりわけ、いつもならこれから飲み始めるという時刻──すなわち夕方がいちばん応えた。だから、日が暮れても「今はまだ昼だ!」とむりに自分にいいきかせる。
アルコールの禁断症状は離脱症状ともいわれるが、私の場合はまず不眠だった。
毎晩、酔ったまま眠りについたおかげで、寝付きは良かった。それをピタリとやめたとたん、ベッドに横たわって目を閉じてもまったく眠りが訪れない。
さいわい自由業である。翌朝の出勤がない。子供たちも大学生になって上京し、送迎の義務から解放され、決まった時間に無理に起きなくてもいい。眠れないのなら、これ幸いと原稿書きに専念すれば良かったし、本を読み、映画を観て夜を過ごしたりした。
翌々日あたりから少しずつ眠れるようにはなったが、今度はひどい寝汗に悩まされた。
健康な大人はひと晩の就寝中にコップ一杯程度の汗をかくというが、冗談じゃなくバケツ一杯分ぐらいの汗をかいて、布団が水浸しのようになってしまうのである。たまらず掛け布団を剥ぐと、温泉のような湯気が、もうもうと敷き布団から立ち昇って驚いた。
不眠と寝汗。そのふたつが自分の離脱症状だった。
さいわい手がひどく震えたり、壁の穴からでかい蜘蛛や毛虫やゲジゲジが這い出してきたりすることはなかった。
拙著『ミッドナイト・ラン!』の主人公、タクシーの運転手はアル中という設定だったし、レイ・ミランド主演の『失われた週末』という映画もずっと昔に観ている。
彼らのように振顫譫妄にさいなまれ、幻覚や幻聴に襲われたり、半狂乱になったり、そんな恐ろしいことになるんじゃないかと覚悟はしていたが、どうやら杞憂に終わったようだ。
依存症がまだまだ初期段階だったのか、あるいはたんに体質的なものだったのかは判然としない。
やがて不眠が解消してすぐに眠れるようになり、気持ちよく熟睡できるようになった。アルコールに頼る睡眠は、寝入りはいいが、眠りが浅くて質の悪い睡眠になるという。たしかに酒を飲んでいた頃は、眠っても夢ばかりみていた記憶がある。
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奇妙なことに、断酒直後からやたらと甘い物が欲しくなった。
それまで見向きもしなかった菓子類や甘味料たっぷりのフルーツゼリーなどが美味しくてたまらないのだ。
そもそも酒は糖質を含み、高カロリーである。昔はエンプティカロリーといわれ、酒で太るのではなく、いっしょに摂るツマミ類で太るのだとまことしやかにいわれていたが、嘘も休み休みいえ、である。エンプティでもカロリーはカロリー。腹の出たメタボな体型は酒飲みのしるしでもあった。
その酒をやめたとたん、体が別の糖質を欲しがるようになった。だからといって甘味にホイホイ手を出していたら、今度は糖尿病になってしまうから気をつけないといけない。
口寂しかったら炭酸水を飲む。あのシュワシュワ感がかっこうの酒の代用品だった。
ただしいちいちペットボトルで買うと高く付くし、空容器が大量に出てエコロジーじゃないということで、上戸彩のCMで有名な炭酸水メーカーを購入し、家で作ってはレモンで味付けをして飲んでいた。困ったことに、炭酸水はどうも利尿作用があるらしく、夜中の頻尿に悩まされたため、今ではだいぶセーブするようになった。
酒の代用としてのノンアルコールビールは危険といわれた。
味も喉ごしもビールと同じとなれば、脳がそれを酒だと認識してしまい、せっかく閉ざしてきた飲酒へのゲートがまた開いてしまう。つまりノンアルコールビールは飲酒運転をしないときなどに飲むものであって、依存症の人間が断酒中に飲むべきものではない。
しかし自分に限っていえば、ノンアルコールビールも他のノンアル系ドリンクも大丈夫だった。風呂上がりなどに飲んで、次は本物のビールが飲みたくなるなんてことはなかったし、いつも一本飲めば気がすんだ。
これも体質的な差異によるものかもしれない。
断酒をしていてコンビニに入れないとか、スーパーに入っても酒類販売コーナーに近づけない人がいる。飲酒欲求が生じて抑えきれなくなり、ガラス扉を開いて缶ビールや缶チューハイをレジカゴに入れてしまうからだという。私はそこまで深刻ではなかったらしく、コンビニやスーパーの酒類コーナーの前に立って、しげしげと棚を見つめても心を動かされることはなかった。
妻は食事時に酒を飲む習慣があるが、目の前でビールを飲まれても焼酎の水割りを飲まれても平気でいられる。そんな自分はきっと幸運だったのだと思う。
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断酒はひたすら孤独な戦いである。
誰かが加勢してくれるわけでもなく、たったひとり、自分自身と向き合って耐え忍ぶのみ。それも二十四時間、毎日である。しかもこの戦いに終わりはない。
人間がひとりでやれることなんてたかがしれている。せっかく断酒を続けていたのに《スリップ》して再飲酒に走る者があとを絶たない。
そうならないためには、断酒を始めたことをなるべく広く世間にアッピールすることだ(たとえばこの記事のように)。すなわち、引っ込みが付かない状況に自分を追い込むわけである。
「いやぁ、やっぱり飲んじゃいましたよ〜」と笑って元通りの飲酒人生を繰り返す人も多いが、それを周囲の人間が喜んで受け止めるとすれば、その人が本当の友人に恵まれていない証拠だと思う。
何よりも酒を意識しないことが大事。
真っ向勝負で飲酒欲求と戦おうとしても、自分が圧倒的に不利であることに気づかされる。いったんアルコールに犯されてしまった脳の、酒への渇仰はすさまじいものだ。
だとしたら、酒を飲むということを忘れてしまうに限る。好きなことに打ち込んだり、趣味に走ったり。釣りや登山をするのも、囲碁や将棋にはまるのも、ガンプラを作るのもいい。とにかく飲酒というイメージを頭の中から消してしまう。
飲み会やバーベキューの現場は大いなる試練だ。まずはビールで乾杯。次に焼酎にするか、日本酒で行く? なんて周囲がいってる中、たったひとりでノンアルコール飲料やウーロン茶を飲む寂しさといったらない。
しかしあえてそれを押し殺し、酒なしで浮かれ騒いでみると、これが意外に楽しいことに気づく。それまでは酒あっての歓楽だと思い込んでいたが、実はそうじゃなかったことに気づかされるのだ。
アルコールは精神作用にはたらきかける薬物の一種とされ、基本的にはダウナー系のドラッグ、すなわち神経を鎮静化するものらしい。人が酔っ払って浮かれ騒ぐのは、脳神経が一種の麻痺状態になるからだ。それが証拠に、酔いが醒めてもまだ浮かれ騒ぐ人間なんていない。
酒は人類最古にして最悪の薬物といわれているらしい。すなわち、もっとも恐ろしい危険ドラッグということだ。諸外国ではそれがきちんと定義されているから、酒の広告やコマーシャルがおおっぴらに流せない。
ところがこの国は、テレビをつけてもインターネットを見ても、タレントたちがさも美味しそうにビールや日本酒、ウイスキーを飲んでいる。さすがに煙草に関しては近年になってやっと広告を自粛するようになったが、酒類はまったくの野放し。
なぜかというと、国庫の財源としての酒税がたんまり入るからだ。政府としても規制ができないのである。なによりもこの国の政治家どもは、高級店での会食や宴会が自分らの立派な仕事だと本気で思っている。そんな甘ったれた奴らが、本気でこの問題を解決するはずがない。
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断酒の長所と短所を訊かれることがある。
はっきりいって短所はないですねと答えると、決まって相手はびっくりする。が、事実だから仕方ない。
逆に長所ならいくらでもある。健康面も精神面も向上し、まるで生まれ変わったような気分になれる。酒のない人生って、こんなに素晴らしかったのかと驚かされる。
そのことを箇条書きみたいに記してみようと思う。
●健康の実感
朝、起きて宿酔という悩みの種がすっかりなくなったのは大きい。
ベッドから床に脚を下ろし、「また飲んでしまった」と重い頭を抱え、がっくり落ち込むということがなくなった。
それまでは体にアルコールを取り入れて、健康をわざわざ害していた。肝臓や膵臓に負担を掛け、生活習慣病や癌の原因を作り出し、眠りを浅くし、プチプチビニールクッションをつぶすように脳細胞を死滅させていたわけである。
毎朝の排便も明らかに変わった。それまではアルコールのせいで軟便が多かったが、断酒以後はかなり健康的なヤツが出る。たまに便秘もあるが、さほど心配にはならない。遅かれ早かれ、大腸から速やかに排出され、色も形もかなり理想的なヤツが便器の中に横たわっている。
断酒をすると痩せる人が多いという。
自分に関してはさほど減量が見られなかったが、たしかに「体が締まってきたね」と人にいわれることが多くなった。おそらくそれまでのアルコールによる〝むくみ〟が取れたのだろうと思う。
●食事が美味しい
これまで朝昼の二食をのぞき、夕食は常に酒とともにあった。すなわち酒は料理の味を引き立たせる最高の調味料というわけである。もちろん私もそれを長らく信じていた。
だから、肉料理にはこの酒。魚はやっぱりこれと決めていたり。そうして気がつくと、料理なんかよりも酒のほうがメインとなっていて、ひたすら飲み続けていたわけだが──。
ところが断酒をしてわかったのは、酒のおかげで料理の本当の価値がわかっていなかったという事実。アルコールを断って、あらためてうちの畑で穫れた野菜を食べたりすると、これが実に美味しいのである。
それはアルコールというよけいな調味料をくわえず、純粋にその食材を味わえるからに他ならない。
また、これまで夕食の時はご飯を食べず、おかずだけを食べては酒を飲んでいた。いわば糖質制限だったわけだが、断酒をしてから夕食時もご飯を食べるようになったおかげで、とにかく何でも美味しい。
しかも酒の糖分を摂取しなくなったぶん、ご飯がいっぱい食べられるという嬉しさ。
ようやく本来の食事の価値に気づいたというわけである。
●一日が長くなった
若い頃は酒を飲みながら仕事をしていた。それは体力があったからだ。
ところが五十を過ぎる頃から、酔った状態で仕事をしても集中力が続かない。無理にパソコンに向かっても、けっきょくはだらだらとむだな時間を過ごしてしまう。
昔から「夜は酒を飲む時間」と勝手に決めていた。原稿を書いたり、そのほかの活動をしたりできるのは素面の時間しかなかった。ところがその「飲む時間」をとっぱらってしまえば、それだけ時間を有意義に使えるわけである。
夕食後に書斎に入り、眠くなるまで原稿が書けるし、読書や映画を観たりもできる。
自分の感覚でいうと、一日が二倍に長くなった──そんな気がする。
もちろん宿酔がなくなったため、朝から頭脳が冴えている。朝飯前からシャキッとして原稿が書ける。
しかも集中力が違うのである。
飲酒は内臓に負担を掛けるだけでなく、頭脳にも大きく影響を及ぼす。たとえ酒を飲んでいない時間であっても、アルコールは脳に作用し、意欲や気力を奪うことがわかった。しかもどんよりと体が重たく、不健康が服を着て歩いているようなものだった。
●節約になる
田舎暮らしを始めて、めっきり外飲みをしなくなった。
それで飲み代の節約になったと思っていたが、あにはからんや、家で飲むぶんだって莫迦にならなかった。店で飲むと無意識に財布の口が固くなるが、家飲みだとそれがゆるんでしまうのだろう。
なにしろ典型的なアルコール依存症だったものだから、酒類のストックがなくなるのが怖かった。その晩、飲んで酒がなくなりそうだったら、あらかじめ買ってストックを補充しておかないと安心できなかった。
家族に酒という酒を棄てられたあげく、料理酒にまで手を出して飲んでしまう悲しいアルコール依存症患者の話があった。自分はそこまでではなかったが、やはり飲むべき酒がなくなることに不安を感じていたのである。
隣県に酒類が安いスーパーがあるのだが、いちいち遠い店まで車を出していられないので、少し値段が高くても近くのコンビニで買ってしまう。毎週のように、同じコンビニで缶ビールや焼酎を買っていると、なんだか気恥ずかしくなったものだった。
今は買い物に行っても、飲んでいた当時の半額以下に出費が抑えられている。
レストランや焼き肉屋に行っても同様である。
●自信がつく
断酒を続けるにあたって必要なのは自己肯定感である。
これを維持するためにはかなりの努力が必要となる。飲酒欲求をまぎらわせるためにありとあらゆる手段を模索する。意識が飲酒に向かわないようにする。
そんな苦労や苦悩を重ねることが断酒の日常である。
そうしてカレンダーをめくっては、ここまで飲まなかったぞという自信が自己肯定感となり、その先のモチベーションにつながる。何よりも健康を取り戻したという喜びが、前向きな人生を作り出すのである。
あの「また飲んでしまった」という後ろめたさから全解放されるのは気分がいい。
断酒はいわば時間との闘いでもある。
アルコールに背を向け、意識から追い出すために少しずつ段階を踏んでゆく。それはたとえば空手で昇級し、昇段していくという過程に似てなくもない。
だから一カ月、半年、一年、さらに数年と、アルコールときっぱり縁を切った時間が長引けば長引くほど、それだけ自分が高位になっていくというイメージでいられる。
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断酒をして気づいたのは、アルコールは人の心を支配するということだ。
飲んでいるとき、酔っているとき、酩酊しているときのみならず、ふつうに日常生活を送っているときも、実はアルコールによって脳が操られている。
酒をやめたいと思っても、それができない。いやいや酒がない人生なんか寂しすぎるじゃないか。そんなことを思ったとしたら、すでにその人はアルコールによって心をコントロールされているのである。
アルコール依存症とは、すなわち脳の病気だといえる。もちろん肝臓や他の臓器に悪影響を与えることはたしかだが、飲酒が脳細胞を破壊することはすでに定説となっているし、その人の意識すら変えてしまう。
考えてみると、毎日のように酒を飲んでいたときは、いつも思考がネガティブだった。悲観論に憑かれ、俺の人生なんかどん底のままだよと自分にいいきかせてきた。
それが断酒をして何カ月かが経過すると、いつの間にか変わっていた。
悲観論が楽観論に変わるという単純なことではなく、諦めたり、嘆いたり、腹を立てたりせず、ダメモトでいいからなんとか努力をしようという気持ちが湧いてきた。
何事も前向きに生きた方が幸せだということに、ようやく気づいたのである。
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断酒は誰に対してでもない、自分自身との約束だ。
私の場合、家族や周囲の理解があったし、日頃、通っている空手道場の最高師範が断酒経験者であり、親身になってアドバイスをいただけたことが大きい。
断酒は基本、ひとりで戦うものだが、同じ経験者同士が精神的苦痛や心労を共有することができる。いわゆる断酒会(AA)もその類いである。
私はそうした場所に参加することはなかったが、その代わり、今はインターネットの動画サイトで、「断酒」経験者たちの語りを拝聴することができる。すなわち〝リモート断酒会〟のようなものだ。
酒を断つことを続ける上で、自己肯定を確認し、維持していくために、今でもそうした動画を観ることが多い。自分だけではなく、他にもおおぜいが同じような苦しみを持ち、戦っているという意識の共有である。
YouTubeの動画でこんなことをいった人がいて、それが心に残っている。
──酒類のメーカーは、決して消費者のためを思って酒を生産し、販売しているのではないんです。自社が儲かり、社員が潤い、株主に還元することが目的なんです。その酒によって消費者が勝手に健康を害し、どん底に落ちてしまうとしたら、これほど莫迦げたことはないですよ。──
最初の頃は《スリップ》してしまうんじゃないかという不安があったし、正直、続ける自信なんてなかった。
旅先の宿で美味しい刺身でも出たら、やっぱり日本酒が飲みたくなるじゃないか。汗水流して登山をし、山小屋に到着したら、やっぱり生ビールだろ? なんてことをクヨクヨと考えたりもしていた。
ところが現在、ほとんど酒というものを意識しなくなっている。酒がない毎日をふつうに過ごしている。それは全身の細胞からアルコールが抜けて、新しい細胞に入れ替わったためじゃないかと思う。
しかし断酒にゴールはない。
この先、何かがトリガーになって飲酒に滑ってしまうともかぎらない。おそらく死ぬまで酒を忘れる努力をしながら生きていくのだろう。
人生はつらい。けれども、それに見合う喜びもたしかにある。
(了)
南アルプス山麓のログハウス発、
大藪賞作家のユーモアと人間味あふれる初エッセイ集!
『フライの雑誌』掲載作品+書き下ろし+インタビューをまとめました。
…ダウンベストをはおり、三和土で靴を履くと、仕事場のドアを開け、外へ出た。すぐ近くにある母屋に向かおうと、暗がりに一歩足を踏み出したところで、硬直した。
玄関先、数メートルと離れていないところに異形の影があった。
牡ジカである。
二メートル近い巨大な体躯。焦げ茶の冬毛が針金みたいに背中にケバ立っていた。太い胴体から凜々しくそそり立った頭部には、それぞれ一メートルぐらいの長さの立派な角が対になって生えていた。
そいつは、ぼくの目の前で躰を横に向けたまま、まるでどこかに展示された剥製か何かのように、 じっと動かずに〝存在〟していた。
一瞬、何の冗談かと思ったほど、そいつには現実感が欠落していた。
右手に握っていたぼくのライトの光を浴びて、ふたつの目が金色にギラリと輝いたかと思うと、牡ジカは真っ黒な鼻の下にある大きな口を開けて、草食動物独特の白い四角い前歯を剥き出した。
口蓋と鼻先から、呼気が真っ白な蒸気となって噴出した。
そして、ビールを飲み過ぎた酔っぱらいが洩らすゲップのような低い声で、ぼくに向かって「ぐふぅ。」と啼いた。…
(「まえがき」より)
『目の前にシカの鼻息 アウトドアエッセイ』
四六判208頁 税込1,800円
フライの雑誌社刊
ISBN978-4-939003-44-8
『約束の地』(2008)で日本冒険小説協会大賞・第12回大藪春彦賞ダブル受賞
樋口明雄 =著 Akio Higuchi
収録作品:
犬と歩む
ようこそ山小屋へ
あのころ奥多摩で
都会のナイフ
薪を割る
サルを待ちながら(NHK「ラジオ深夜便」で朗読)
クマと生きる
〝イセキ〟を渡れ!
インタビュー〈だんだん、自分には山暮らしが合っていると気づいていったんです。〉
犬が好き、猫が好き/犬の叱り方は子どもと同じ/「私の家族を守らなくちゃ」/犬は忘れやすい/私は風呂に入るべきじゃない/肝硬変と阿佐ケ谷と/来たりもんの心得
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おかげさまで売れています。『フライの雑誌』第124号は、待ちに待った春、ココロもカラダも自由な「春の号」です。