先日の本欄記事に関してたくさんのご意見をいただいています。ネット上の知らない匿名の方には基本的に個別対応していません。たいへん申し訳ないです。
※弊社刊行物へお寄せいただく読者様からのご意見・ご感想には、ご批判を含めてもちろん喜んで勉強させていただきます!
そこで本件に関して弊社の過去記事から参考になりそうな記述を、以下抜き出して紹介し、ネット上でいただいた声へのまとめての返信にさせていただきます。
「多摩川ではマスは自然再生産できない。放流で成り立つプット・アンド・テイク型の釣り場だ。しかし解禁日当日に漁協がバケツで放流する成魚は、待ちかまえているエサ釣りに、まもなく釣りきられてしまう。持ち帰り制限がないのだ。」
「釣り堀に慣れた釣り人は、釣り堀以外の河川でも釣った魚のすべてを持ち帰ることが当たり前になる。しかしもちろん、再生産力の乏しい日本の自然渓流で大量の釣り人がそのような釣りをすれば、マスはあっというまにいなくなる。」
(「日本のマス釣りを知っていますか」(2019)
「トラウト・フォーラムは、鱒釣りをスポーツとして行うものの集まりです。わたしたちは、このスポーツからより大きな喜びを得るため、ヤマメやイワナたちが棲む豊かな清流の復活と保存を願うものです。また、鱒釣りがスポーツとして社会に広く定着し、釣り人の声がより多く行政施策に反映されることを望むものです。
そのために、わたしたちは釣り人のネットワークを広げ、釣り場づくりに必要な種々の科学的な調査を実施していきます。また、それらの実績をもとに河川漁協や行政に対し、鱒釣りの新時代を築くための、積極的な提言を行っていきたいと考えます。わたしたちは、このスポーツが自然の再生産システムとよりよく調和し、子どもたちの世代にも終わることなく、かけがえのない楽しみであり、活力の源泉であり統けるよう願うものです。」(トラウト・フォーラム憲章 1992年3月)
いま読んでもいいこと言ってると思う。トラウト・フォーラムのほぼ設立から解散までをわたしは至近距離で見て来た。『フライの雑誌』の仕事と並行するように多くの時間と労力を注いで、活動に関わってきた。それは20代の若者にとって初めての社会体験でもあった。トラウト・フォーラムでの10数年間からは喜びといまに続く貴重な人間関係をもらった。
トラウト・フォーラム(2008年解散)が、日本のマス釣り場作りの歴史へ残してきた足跡の記録を公開します。残したはず。(笑)
(【公開記事】「トラウト・フォーラム18年史」)
以下は、上記「日本のマス釣りを知っていますか」(2019)からの抜き出しです。
「魚がそこにいるだけでは、持続的なよい釣り場とは言えない。よい釣り場作りとは、川の自然環境の回復あるいは保全と不可欠のものだ。」
「釣りはきわめて個人的な遊びだ。釣り場の好き嫌いを言い始めたら、建設的な議論にならない。」
「釣り人と漁協は対立する相手ではない。いい自然環境、いい釣り場を残したいという目的のもとに、補完しあう仲間同士だ。河川環境を破壊するダムや河川改修などの開発行為に対して、漁協が釣り人と共に立ち向かう姿勢をとることが重要だ。」
「釣りは私的な趣味であり、個々人の生きがいだ。行政はできるだけ関わるべきではない。」
「釣り人と住民、漁協、行政、研究者は長年一緒になって、きれいな魚がたくさん泳いでいる美しい川、たのしい釣り場を作ろうとがんばってきた。」
「釣り人は希望を捨てない。釣り人はしつこいオプティミストである。」
素人考えの長ったらしい文章の中で、特に言いたかったことをまとめると、こんな感じになりました。「日本のマス釣りを知っていますか」は、2019年の夏に書いた文章です。あの夏はこれにかかりきりでした。まとめておいて本当によかったと思っています。
動画の中で『フライの雑誌』122号が紹介されています。
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