単行本『桜鱒の棲む川』より、「コラム12|マリンランチング計画という悪い冗談」を公開します。
ルアーやフライフィッシングでのゲームフィッシュとして人気の高いサクラマス。サクラマスは、故郷の川と海とを行ったり来たりすることで命をつなぎます。サケ科魚類のなかで、いまだもっとも多くの謎が残された魚と呼ばれます。
近年は水産資源としてのサクラマスへの注目度が高まっています。マスコミでサクラマスが扱われる機会も多くなっていますが、サクラマスの生態への理解度はまだまだ低いようです。
単行本『桜鱒の棲む川』では、サクラマスののぼる日本列島各地のそれぞれの川について横断的に調べることにより、サクラマスのブラックボックスを平明に解きあかしています。
美しいサクラマスを未来へのこすために、なにが必要なのか、私たちになにができるのかを考えてみませんか。
※サクラマス(O. masou)とヤマメは同種。サクラマスは川から海へ回遊する個体 (回遊型)で、ヤマメは一生を河川内で生活する個体 (河川残留型)。(岐阜県水産研究所) 故郷の川と海の両方を棲み家として利用して、種としての命をつないでいく点で、サツキマスとサクラマスの生態史は同じ。
(編集部)
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マリンランチング計画という悪い冗談
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今から三〇年前、水産庁が作成したサクラマスのマリンランチング計画というものがあった。
これは、一九七七年に出版されたアーサー・クラークの『海底牧場』(ハヤカワ文庫SF/原題 The Deep Range)をヒントにした和製英語のようであるが、今となっては悪い冗談としか言いようがない。
サクラマスの家魚化(家畜に対する語)と言われても、⑴サクラマスは養殖ニジマスのようには累代飼育できない魚。 ⑵海と川とを多様に利用して行き来する魚。 ⑶人間が管理するのは無理な魚。というイメージがある。
海を知らず、家魚化されたらそれはサクラマスではないという声も出てくる。
日本ではシロザケのふ化放流による栽培漁業がうまくゆき、ダブつくくらい大量に生産されるようになった。
そのため、次はベニザケに匹敵するほど美味で高値がつき、銀ピカで戻ってくるサクラマスを家魚化し、資源培養しようということになった。
サクラマスは沿岸での漁期が冬から春である。日本海での漁業対象として増えることが期待されているのも理由となった。
しかし現実には、サクラマスがシロザケとは異なる次の三点が問題となった。
㈠ シロザケやカラフトマスは産卵直前のブナ毛として戻ってくるので、毎年秋に大量の遡上系の親魚を確保できる。しかしサクラマスは未成熟の状態で河口に到達するので、採卵までの半年間を川で夏を過ごさせなければならない。
㈡ シロザケやカラフトマスの稚魚はふ化場から放流されるとすぐに海に出てしまう。サクラマスの稚魚は海に出る前に、川で一年または二年を過ごす。
㈢ シロザケでは川での採捕と種苗生産の施設が生産工場の一部となってしまい、河川の天然環境が良好な状態で維持されているがどうかは問題とされなくなってしまった。サクラマスではそうはゆかず、親魚の越夏と稚魚の越冬が可能な河川環境が、維持されていなければならない。
サクラマスでは春に採捕して蓄養した親や、秋に採捕する産卵親魚の確保が難しい。ならば、少量でも確保した人工授精の稚魚を何代にもわたって池で飼育して、そこで得られた親から採卵すれば、いつでも思うように放流用種苗が確保できる。
ということで、池産系の放流種苗を生産し、それを移動したり全国的に使い回すようになった。
その結果、毎年一五〇〇万尾くらい放流するサクラマスの稚魚の半分を、池産系が占めるようになった。
しかし回帰親魚の漁獲量は思うように伸びないどころか、減少傾向にある。池産系の放流魚の回帰率に問題があると考えられている。
マリンランチング計画の目論見としては、池産系の親魚が確保でき、その稚魚の放流がうまくゆけば、遡上系の親魚は獲れなくてもよい、と考えていたようである。
一九八六年、NHK函館製作の番組「バイテク・サクラマス放流」の中で、北海道の水産ふ化場の担当者がそのことをいみじくも発言している。
バイオテクノロジーの技術を用いて全メス化したサクラマスの稚魚を放流する事業について、道内の大学や試験研究機関からは発言する人を得られなかったようで、筆者にそのお鉢が回ってきた。
〝そんなことをしたら、サクラマスの天然資源に計り知れない遺伝的影響を与える可能性があるので、放流するべきではない。〟
と筆者が言ったのに対し、その担当者は、〝バイテク施術魚は全部回収するので、問題はない。〟とがんばった。
この担当者は、一、放流したサクラマスは全て海で漁獲され川には戻らない。二、バイテク魚の放流により遡上系の放流は必要なくなるので遺伝的交流は起こりようがない。と考えたのかもしれない。
まさに日本海を釣り堀または牧場にしようとしたのである。
しかし、現在はサクラマスについてバイテクも、マリンランチングも言う人はいない。
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(『桜鱒の棲む川 サクラマスよ、故郷の川をのぼれ!』 水口憲哉|フライの雑誌社 2010)
本文目次
Ⅰ 美しき頑固もの、サクラマス
プロローグ─ 桜鱒の棲む川をめぐる旅の始めに
いつから「サクラマス」と呼ばれるようになったのか/サクラマスの一族には四つの亜種がある/北海道での呼称「ヤマベ」は本州から伝わった/スローでマイペース、したたかな頑固もの、サクラマス/この一〇〇年でサクラマスの生息環境は激変した/川が川でなくなった時サクラマスは途絶える
Ⅱ サクラマス・ロマネスク
六億六千万円かけて遡上ゼロの「県の魚」
コラム① サクラマスの起源を考える
サクラマスのロマンと資源管理
コラム② ヤマメとサクラマスとを分ける鍵、スモルト化
一二〇年前のサクラマス漁獲量を読み解く
コラム③ サクラマスの海洋生活と母なる川
Ⅲ サクラマスよ、故郷の川をのぼれ
山形県・小国川 ダムのない川の「穴あきダム」計画を巡って
コラム④ カワシンジュガイは氷河時代からのお友達
山形県・赤川 サクラマスのふ化放流事業は失敗だったのか
コラム⑤ 信州の高原にサクラマスが遡った日
秋田県・米代川 サクラマスの遊漁対象化と増殖事業との複雑な関係
富山県・神通川 サクラマス遊漁規制の経緯とその影響
コラム⑥ 「戻りヤマメ」とは何だろう
福井県・九頭竜川 九頭竜川は〈世界に誇れるサクラマスの川〉になるか
コラム⑦ 自由なサクラマス釣りの魅力とその未来
石川県・犀川 南端のサクラマスと辰巳穴あきダム訴訟
コラム⑧ 湖に閉じ込められたサクラマスたち
新潟県・三面川ほか 新潟サクラマス釣り場の現状と問題点
コラム⑨ 中禅寺湖のホンマス、木崎湖の木崎マスの正体は
岩手県・安家川 サクラマスよ、ウライを越えよ
青森県・老部川 原発、温廃水、サクラマスの〈ブラックボックス〉
コラム⑩ 海と川のサクラマス、どちらがおいしいか
岩手県・気仙川 サクラマスが群れる川のダム計画
コラム⑪ はじめに人工ふ化ありき
したたかに生き延びよ、サクラマス
コラム⑫ マリンランチング計画という悪い冗談
北海道・斜里川ほか 北の大地のサクラマス、特別な事情
コラム⑬ 内村鑑三とサケ・マス増殖事業
岐阜県・長良川 長良川河口堰とサツキマスの自然産卵
Ⅳダムをやめれば、サクラ咲く
レッドデータブックを疑え
コラム⑭ キツネのチャランケ
ダムをやめれば、サクラ咲く
コラム⑮ サクラマスは故郷の川でしか生きられない
エピローグ─ 桜鱒の棲む川のほとりで
あとがき
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第126号〈隣人のシマザキフライズ特集〉続き。島崎憲司郎さんのスタジオで2022.12.26撮影。狭いシンクを泳ぐフライ。まるっきり生きてる。これ笑うでしょ。まじやばい。(音量注意) pic.twitter.com/vFuHHPEJvh
— 堀内正徳 (@jiroasakawa) December 27, 2022